「泣きたくなるほど駄目な日」の過ごし方。または何もアイディアが浮かばないときの私の対処法【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第24回
【自分自身との付き合い方が変わった理由】
原稿を書き始めるようになってもうすぐ半年。自分について思考して、その結果を他人に伝わるように言葉という形で出力する。それを毎週繰り返しているが、初めのうちはそのサイクルについていくので精いっぱいであった。ようやく最近になって自分の中の執筆のリズムだったり、スムーズに言葉を生み出すためのルーティンだったりを掴んだ気がする。そうやって丁度良さみたいなものを模索していく中で、執筆当初と比べて変化したのは自分自身との付き合い方だ。もっと範囲を広くするならば生活の営み方とも言えるだろう。
そもそもの前提として、これまでの私は何も生むことが出来なかった日を受け入れることができなかった。「何もしていない」と思いたくなくて、初めから予定を詰め込んでみたり、冒頭のような状況が発生したとしたら諦めが悪いほどにずるずると作業したりしていた。特に前職のときはそれが顕著で、撮影と大学の外せない予定などを詰め込み、一日布団にくるまって寝ていても問題がない、本当の意味での休日というのは月に一度あれば良い方で、それは引退してからも同じであった。私にとってはそれが当たり前で、どちらかというとそうならざるを得ないというよりは、意識的に行っていたようにも思える。こんな生活が成立していたのは体力と根性でどうにか補っていたからであって、生活としてちゃんとしているかと言われると、少し程遠いところに身を置いていた。
なぜそんなに地に足をつけない生活をしていたのかは今となっては不思議に思ってしまうが、きっとその頃は自分が動ける限界まで何かをしているということが、一種の安心みたいなものを与えていたのだろう。迫りくる出来事をこなすことで〈私は何かしている〉と思い込んでおきたかったのだ。実際それがちゃんとした思考や成果を伴ったものだったかは、今となっては分からない。もしかしたらそれで良かったこともあるだろうが、一つだけ言えるのは、もう己の体力に全ベットした不安定な生活スタイルは選択できないということだ。